第1章 工藤伸治のセキュリティ事件簿番外編 箱崎早希と超可能犯罪の壁

2015/11/06

1章 雨の降る日にはろくなことがない

工藤伸治のセキュリティ事件簿番外編

雨の降る日にはろくなことがない。特に夕方から降り出す雨は最悪だ。家を出る時には傘を持たない主義のオレにとって、秋の冷たい夜の雨はやっかいな敵だ。

例によって沢田のノリのいい声で呼び出されたオレは、ヘムコシステムというさえない会社に向かっていた。とは言っても曲がりなりにも上場企業だ。それなりの予算を持っているだろう。

さんざん儲けさせてやっているのだからハイヤーくらい迎えに寄こせばいいのに気の利かないヤツだ。1億9065万8675回言い聞かせたおかげで、オレのことを「工藤ちゃん」と呼ぶことは少なくなったが、社会人に備わっているべき常識は欠落したままのようだ。

しこたま濡れてヘムコシステムの受付ロビーにたどりつくと、沢田はすでにオレを待っていた。ちゃっかり傘を持ってやがる。常識と如才のないヤツは食えない。

「工藤ちゃん、待ってました!」

ご機嫌で沢田が声をあげた。ダメだ。こいつはどこも治っていない。

オレの名前は工藤伸治。フリーのサイバーセキュリティコンサルタントをしている。カッコよくて儲かりそうに聞こえるが、やっているのはどぶさらいのIT版。いろいろな企業でサイバーセキュリティがらみのトラブルが発生した時に手助けに参上する。もちろん世の中には、サイバーセキュリティ専門の会社もあるし、警察だってある。でも、そういうまっとうなところに相談できない事情を抱えた企業は少なくない。ありていに言えば、トラブルを隠蔽したいんだ。まっとうなサイバーセキュリティ専門会社は公にするように助言するし、警察が動けば自ずとばれてしまう。そういう時こそ、まっとうなことを言わないオレの出番だ。だからいくら活躍しても話題にはならないし、どうやっても胡散臭さが抜けないせいで、いまひとつ儲けもぱっとしないということになる。いいんだ。性分に合ってる。

「システム風紀部長の箱崎早希でございます」

オレと沢田が通された会議室に現れたのは、慎重180センチはありそうなきれいな女だった。それもただの美人じゃない。短めのボブカットの黒髪、タイトスカート、スタイルはいいがしっかり筋肉のついた身体、猛禽類を思わせる鋭い視線、小麦色の肌……ようするに一筋縄ではいかないってことがすぐにわかった。ちょっと見、ラテン系と間違えそうだ。オレの知る限りシステム関係の仕事をしている女でこういう日本人はお目にかかったことがない。

「システム風紀部。噂には聞いておりましたが、実際にお会いするのは初めてです」

沢田がへらへらした笑顔で名刺交換する。「お会いする」じゃなく「お目にかかる」だろと思いながら、オレも名刺交換し、ひどく挑戦的な香水に気がついた。邪心が芽生えそうでヤバイ。

「当然です。部長の私ひとりの部門ですから。おかけになってください。まず部署のあらましからご説明しましょう」

箱崎早希は用意してきた資料をオレたちの前に置き、さっさと着席すると説明を始めた。あわててオレたちも腰掛ける。

ヘムコシステムは、いわゆるシステム開発の受託を中心した上場企業だ。効率的な開発環境を作り上げ、早い、安い、そこそこの品質で業績を上げてきた。

システム風紀部部長箱崎早希。同部は昨年度営業部で社長賞を取った彼女が立案し、設立した部長ひとり部員も兼任という部門で、システム部およびシステム営業部の行動を監督する任務を負っている。最初の成果として、残業は21時までという規則を作った。徹夜当たり前の開発部からはブーイングが来たが、「これは開発部の問題ではありません。営業部の問題です。他社より納期を短くして、単価を下げれば受注できるに決まってます。小学生だって営業できます。他社より劣る条件で獲ってきてこそ大人の営業! 子供に給料を払う必要はありません。営業部にはこの規則をしっかり認識していただきたいと思います」と一蹴し、営業部長に部下にこの認識を徹底するよう要請したという。正論だが、早希の言う”小学生なみの営業マン”が多いのが現実だ。

早希は基本的なルールや常識を見失いがちな開発と営業の現場を健全にしようとしていた。基本的なルールというとおおげさだが、サービス残業やパワハラが蔓延し、ブラック企業化するのを防ぐことが目的だ。システム屋ってのは、簡単に黒くなる。しかも働いている本人たちが勝手に責任を感じて抱え込んでいったりすることも少なからずあるから、さらに問題はやっかいだ。結果として心の風邪を引く社員が後を絶たなくなる。「昔ヒロポン、今デパス(向精神薬の一種)」と揶揄される由縁だ。

風紀部発足以降、早希は社内のネットワークをモニターしていたが、社外からと思われるアクセスをたびたび発見していた。調べてみると、そのほとんどは社員が自宅から社内にアクセスして仕事をしていたものだった。もちろん、それは禁止されている。社内から社外へ業務データを持ち出すなどもってのほかだ。21時以降の残業が禁止されたから自宅でやろうという涙ぐましい努力だ。システム風紀部の指導によって、持ち帰り作業はいったん終息したかに見えた。他人事ながら納期は大丈夫なんだろうか? と心配になる。

しかし、その後正体のわからない不審なアクセスが増加した。なかなか正体がわからない。やがて数が増加してきたため、やむなくオレに依頼することとなったというわけだ。

「以上が概略です」

早希の刺激的な赤い唇が動くのに見とれていたオレは、はっと我に返った。気がつくと、早希がオレを見つめている。これだけの美女が目の前にいたら、仕事の話なんかそっちのけになるのはしかたがないだろう、と自分で自分に言い訳する。行儀良く振る舞えるならフリーの仕事なんかしていない。隣で沢田がにやにやしてオレを見ている。

「不審なアクセスってどんなこと?」

あわててオレは質問した。早希の眉が少し吊り上がる。どうやら馴れ馴れしいしゃべり方は好みではないらしい。

「不正なIDと端末を使って開発部内ネットワークからアクセスしてきています。当社はログを取っていないため、リアルタイムで私が視認した範囲です」

「つまり、どういうことだ?」

「何者かが管理権限を奪取してIDを発行し、それを使って開発部内のWifi経由でアクセスしている可能性があります。時間帯は21時以降ですから開発部の端末はすべてシャットダウンしています。踏み台にされる可能性もありません」

開発部のWifi経由ってことは、その時社内に誰かがいたっていうのか? もしかすると結構やっかいな問題に発展するかもしれないと思った。

<毎週金曜日更新 次回は11月13日(金)です!>

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