第6章 工藤伸治のセキュリティ事件簿番外編 箱崎早希と老いた迷宮

2016/07/04

<前回のあらすじ>
箱崎早希から顧客データを盗み出す犯行予告の相談を受けた工藤。工藤は元社員の山崎とにらむが、同じ情報システム部の河野ひとみが「自分が犯人」と言い出して……。
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「山崎さん、ほんとうにいろいろ教えていただいてありがとうございました。きちんとお礼を言いたかったんです。あと、あと……」

途切れ途切れになり、しまいには声が詰まった。

「とんだ『八百屋お七』だったな。山崎さん、察してやれよ。かわいそうだろ」

もういい。これで事件は解決だ。オレは立ち上がり、山崎と早希を見る。それから社長に、「これで事件は解決しました。部屋を出ましょう」と伝える。社長は戸惑いながらも立ち上がった。とっくに三十分は過ぎている。急がなければいけないはずだ。

「わかりません。どういうことですか?」

オレはもう一度早希に目配せしたが、全く通じなかった。山崎と河野とオレの顔を交互にながめている。

「箱崎さん、行くぞ」

「行く? どこへ行くんです?」

「空気を読め」

そう言われても、早希は全くわからないようだった。社長とオレはすでに会議室を出ようとしている。

「工藤さんのような方に言われるのは納得できませんが、この場は従います」

早希は憮然とした表情で立ち上がった。

「あの、私は?」

山崎もわかっていないようだ。

「あんたが残らないと話にならないんでね。彼女を慰めてやってくれ。悪いようにはしないだろう。なんせ社長とシステム風紀部長がいるんだ」

オレの言葉に山崎は、「え?」と尋ねてきたが、それには答えず部屋を出た。

会議室の外には社長秘書が控えていた。早口で、社長に車が待っていることを伝える。

「工藤さん、私はこの説明を聞くまでは車に乗れない」

社長の言葉にオレはうなずく。

「では、歩きながら話しましょう」

そう言って秘書を先頭に四人並んで歩きだした。

「河野ひとみは、山崎を好きになったんです。それが全ての発端でした。山崎は情報システム部で危険人物扱いされてお別れ会もなしに社を去ることになった。情報システム部の仕打ちが許せなかったから、河野は脆弱性情報というパンドラの箱を開けて無念をはらし、ついでに再会を果たそうとしたわけです。いささか強引な方法でしたが、こうでもしないと長い間の悪弊は直せなかったような気もします」

オレの説明に社長と早希はしばらく黙っていた。

「本気でおっしゃってるんですか? 何歳違うと思ってるんです?」

ややあって早希が信じられないという様子で首を振った。

「最近の若い子は、枯れたおっさんが好きなんだよ」

「おっさんを超えておじいさんの域に達してますけど」

「それでもいいんだろ。こういうのは本人にしかわからないことだから、はたでなんだかんだ言っても始まらない」

「ほんとなのか……」

社長は、うれしそうだった。年齢の近い山崎に対する共感があるのかもしれない。

「真相はわかったから、オレの仕事は終わりです。社長が、あのふたりをどうするか気になりますけどね」

オレの言葉に社長は、うーんと唸った。

「ふたりのことは不問にし、システムを入れ替えを勧めるのが最善の策です。この事件を踏み台にして社内システムを再生させましょう。どれだけ危険な状態で稼働していたか、社長もその目でご覧になったでしょう」

早希もここぞとばかりに社長にせまる。社長は、まだ脆弱性情報のファイルを持っていた。

「約束する。今回の事件の真相は表沙汰にし、河野くんの責任は問わない。システムは来期に抜本的に見直しよう」

社長は立ち止まり、オレに語った。早希が思わず拍手する。

「オレの仕事とは関係ないですが、ふたりと社内システムをよろしくお願いします」

柄でもないことに、オレは社長に頭を下げて頼んでいた。オレだってたまには、感じ入ることもある。社長があわてて、オレの肩に手をかける。

「顔を上げてください。頭を下げるべきはこちらです」

苦労人だけあって、社長はこういう時にどう行動すべきを知っている。オレが顔を上げると、社長はにっこり笑った。

「社長! 時間です!」

秘書が泣きそうな声を上げ、社長は、「では失礼します」と早足で歩き去った。オレと早希は、その後ろ姿を見送った。

秘書と社長が視界から消えると、早希がオレに向き直った。

「工藤さん、河野が真犯人だと気がついてらしたようにお見受けしたのですが、なぜわかったんです?」

「『センセイの鞄』だよ」

オレはにやりと笑う。

「はい?」

「『センセイの鞄』という小説が河野の机に置いてあった。三十歳も差のある老人と女の清廉な恋物語だ。それでピンときた。河野は主人公と自分を重ねていたんだろう」

オレの返事に、早希は不思議そうな顔をした。

「いささか驚きました」

「オレのカンが鈍いとでも思ってたのか? あいくにくだな。カンがよくないとこの仕事は務まらない」

「いえ、工藤さんが恋愛小説を読むとは知りませんでした。ハードな官能小説ならお読みになりそうですが」

「口の減らない女だな。いっとくがあの本はジャンルとしては純文学だ」

「なるほど。その時が来たら、いつか読んでみたいものです」

「その時っていつだ?」

「プライベートです。しつこいと嫌われますよ」

「あんたにひとつ忠告しておこう。この事件が不自然で詳細な調査が必要と判断したのは慧眼だが、言わぬが花って言葉もある。放っておいてもよかったんじゃないか? そこまで気が回るようになれば、もっといい女になる」

オレの指摘に早希は得意げに首を横に振った。なにか間違えたらしい。

「やっぱり、工藤さんはわかってらっしゃらない。私たちが解決しなければ、ふたりはうしろめたさを抱えたままだったんですよ。これで社長にも認められたことになるでしょう」

やられた。色恋沙汰では女の方が上手だ。やはり、男女の機微はオレにはわからない。

早希に見送られてビルを出ると、雨は上がっていた。仄暗い薄闇の向こうに街の灯りがまたたいている。本屋に寄って、『センセイの鞄』を買おうと思った。たまには夢を見るのもいい。<完>

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